「FF外から失礼します」は不要です
Twitterを利用しているとよく見かけるシーンとして
見知らぬアカウントにリプライをするとき「FF外から失礼します」といった決まり文句を書いている人がいます。
これって本当に必要でしょうか?
「FF外から失礼します」の意味
まずは「FF外から失礼します」の意味から確認します。
この記事では、律儀に「Twitterの使い方」を記述していますが、
こういった解釈が蔓延することで「SNS疲れ」に始まる、社会問題の要因にもなります。
反対する記事
「フォロー外から失礼します」って言わないとクソリプ!?最近のtwitterマナーとは | ダイブロ
どれも、論理的な解説で的を得ており非常に痛快です。
「FF外から失礼します」の気持ち悪さ
まず、「FF外」という言葉そのものが気持ち悪いです。
ゲームのタイトルかと思ってしまいます。(聖剣伝説 ~FINAL FANTASY 外伝~)
こういった「スラング」と「丁寧語」というのは水と油のようなもので、基本的には相性が悪いです。
お前、スラング使ってる癖にどんだけ下からなんだよ!と突っ込みたくなります。
正直「ああ、面倒そうな奴だな」と思うだけです。
日本に蔓延する閉鎖的な空気
近所でも学校でも職場でも日本ではとにかく小さなコミュニティで固まって、人間関係をコミュニティとそれ以外の2つで分けようとする人が多い傾向にあります。
仕事に至っては、そのコミュニティに入っていない、つまり対して仲良くないという理由だけで非協力的な人達もいます。
大昔は確かにみんなで強力しないと生きていけなかった
やっぱり、一人で生きていける現代と違って昔は違ったと思います。
何かしらコミュニティに所属していなければ非常に不自由な生活を強いられることになっていたのでしょう。
日本人は精神的に未熟?
精神的に未熟な人の特徴として
・自信がない、自立心がない
・嫌われたくない、みんなに好かれたい
・みんなと一緒で居たい
・自分の気持ちをはっきり言えない
・自分の意見をはっきり言えない
・極度に臆病
・苦手を克服しようとしない
・誰かと共感しないと気が済まない
・何かに依存してしまう
etc...
こういった傾向にあります。
これってよく見てみるとまるで「日本人」そのものを表しているように見えませんか?
ビジネスにおいても、こういう人達は割りとよくいます。
こういった未熟な人達と会議をするとまるで話が進まないし、いちいち気を遣わなくてはいけない所が多く、仕事も進み辛いです。
みんな同じ日本人、みんな同じ人間
「FF外から失礼します」なんていうのは、結局自分に自信が無いから不意に出てしまう言葉なのだと思います。
相手に気を遣わなければいけないというのも、分からないではないですが、知らない人から声を掛けられたくらいで大騒ぎするような人はそもそも「SNS」というものに向いていません。
そうやって、目的から遠ざかったところに時間を使うのはもうやめにしませんか?
相手が「誰か」というのは本来の目的とは関係ないでしょう。
呟いたことに反応した、ただそれだけのことです。
至って普通の使用方法をしたまでです。
情報格差による勘違い
デジタル・ディバイドなんて言われてますが、やはりテクノロジーが一気に発達したのはここ数年の話。
Webのオープンな概念や考え方というのは、グローバルな価値観で捉えなければいけないところもありますし、日本の情操教育もこういったテクノロジーには追いついていないでしょうから、当たり前っちゃ当たり前な気もします。
ゆるいつながりが心地良い
現実世界では、少なくとも日本ではあり得ない「ゆるさ」がやはりサービス当初は面白かったと記憶しています。
しかし、それがいつの間にか人が増えるにつれ「秩序」や「民族的特徴」が支配するようになりました。
これではサービスを利用する上での恩恵が減ってしまいますね。
Webは国家ではありません。
現実に当てはめること自体がナンセンスでしょう。
まとめ
・「FF外から失礼します」は不要
・情操教育が遅れている
以上。